Page-13
F-4D 136th FIS / New York ANG
HOME
NEXT
click here
F-4D-26-MC/65-0597
F-4D-29-MC/66-7456
↑ 1988年6月に撮影された136th FISのF-4D/65-0692。これは珍しくエアクラフト・グレーに図案化された滝の新マークが尾翼を飾っている。マニア心を揺さぶるシックなマーキングである。
(F-4D 1986~1990)
第136迎撃戦闘飛行隊の起源は第2次大戦中の爆撃団に遡るようだが、大戦中はあくまで陸軍の航空隊となっていた為、ニューヨーク州空軍として、ナイアガラホールズで活動始めた1948年からが、現在に部隊のスタートと言えるかもしれない。以来、名称が多少異なる時期があるが、第107戦闘機グループの傘下で運用されてきた飛行隊である。1948年当時はP-47サンダーボルト戦闘機を使っていたようで、ベトナム戦争にも駆り出され、当時使っていたF-100Cスパーセイバーで南ベトナムの基地から出撃している。その後、F-101Dの配備を経て、F-4C/F-4Dと機種更新してきた。F-4D型使用の期間は4年少々であり、C型時代と違って地味なマーキングの為、マニアからもあまり注目されないまま、F-16A/Bに転換している。活動拠点は、ナイアガラホールズ国際空港に隣接した米空軍の予備役部隊用に使われていた飛行場で、2023年現在では予備役部隊のKC-135Rと州航空隊の無人機MO-9が此処で運用されている。此処はベル社の開発拠点だったところで、チャック・イェガーが1947年音の壁を破ったベルX-1もここで開発されていた。(2023年9月 記)
↑ 上の3枚の写真は何れも1990年6月に撮影されたもので、現役を引退し集積場へ送られるのを待つF-4Dではないだろうか。上2枚の機首にはライノの絵柄がある。1990年には多くのレギュラーユニットにF-16が配備され、州空軍機にも配備が開始され、F-4C/Dの時代は終わりを告げようとしていた。
↑ 1989年5月 場所は不明だが航空ショーの展示機として撮影された136th FISのF-4D/65-0781。同隊のこれらのF-4Dは、翌1990年には全て退役し、アリゾナの集積地へと向かった。面白いのは、機首にライノ(犀/サイ)が書かれていたのである。飛行隊の多くの機に入れられていたようだ。
F-4D-28-MC/65-0738
↑ 1987年5月に撮影された136th FISのF-4D/65-0753。D型に更新されて1年ほど経過した時機で、まだ尾翼にはナイアガラ・ホールの文字しか入っていない。
Wings